アジサイ屋敷顛末
そもそも事の発端は
1945年激化した東京の大空襲により
吉川熈を頼り岡山に疎開して来た柳行智が
紫陽花屋敷を吉川が買い取った際
屋敷と紫陽花の管理の為に住み込む事となる
現場は屋敷の坂の途中の
紫陽花の植え込みの中に
行智の切断された左手があり
屋敷裏手の杉の林内に焼け爛れた
左手の欠けた焼死体が発見されて
警察は他殺及び被害者を
紫陽花屋敷管理者の柳行智と断定した
(昭和45年発行日本猟奇事件凶器全集より
津山警察署保管の凶行の際に使われた
刃渡り53cmの鉈)
その後、その第一の殺人から時をおかず
小坂部村住人5人が次々と惨殺されると言う
大事件になり県警から新井警部補(磯川警部補は鬼首村(おにこうべむら)の温泉宿「亀の湯」に休暇滞在中→悪魔の手毬歌事件発生→解決後の移動中の為県警に戻っておらず)
が指揮を取る事となった。
また、金田一耕助は鬼首村で起きた事件の解決後弟の死に疑念を抱いた西屋の主人の依頼を受けて八つ墓村にゆく途中小坂部村に立ち寄るも
まだ事件は起きてなく、パトロンの吉川別宅(紫陽花屋敷)に一泊したのち山を二つ越えた八つ墓村へと。
(亀の湯の女主人・青池リカがおりんに化けて金田一とすれ違った峠に行ってみた、現在鬼首村は廃村となり昔日を思い起こす建物も無い)
世に、もしもは無いけれど、もし八つ墓村事件が無ければ
金田一耕助はもう少し紫陽花屋敷に
滞在した筈で
滞在中に事件が起こることになり
事件も何らかの進展、若しくは解決したのでは
なかろうか?
結局、事情を知ると目されていた
下斎村在(しもいつきむら)の藤木良三が(当時48歳数え年)
近くの青原湖に入水自殺した事により
事件は迷宮入りとなり
80年余りが経過している。
Y先生が疎開していた当時、ボサボサ頭の
黒いマントを羽織った細身の人が逗留した時
たまたま買ったばかりのアルコ35カメラで
撮影した金田一の帽子と下駄)
中学時代に面白く読ませて頂き岡山→殺人と
くれば金田一耕助でしょ(笑
実はコレに由利麟太郎もかましてダブル
横溝探偵のすれ違いと未解決の顛末もやろうと思ったが、それやるとぜってー最後まで
読んでくれないだろうと端折った
(てか勿論スーパーフィクションだから。)